
Interview with
しらはせ あきさん
インタビュー企画第2弾は、
パリで女性のためのゲストハウス経営をする日本人オーナーのしらはせあきさんにお話を伺わさせていただきました。
次のステップアップに繋げたい女性のために、
パリでゲストハウスを運営されています。
実際に私自身がパリで住宅探しに苦戦した際にご縁があり、彼女の活動の素晴らしさに感化され、今回のインタビューに至りました。
20代の頃から自ら道を築いている彼女に
15の質問と共にお話を伺いました。
Let's INTERVIEW!
Question.1
20歳の時に今のご自分を想像していましたか?
「全く想像してなかったです。
学生時代は、本で知って憧れていた国際公務員として、国連機関で働きたいと思っていました。」
Question.2
20歳の時の自分に会うことができ、
何かを伝えることが出来るなら、何を伝えますか?
「頑張れ、挫けるな!」と。
Question.3
学生時代はどんな学生でしたか?
「海外に出たいと思っていましたね。
19歳の時に初めてイギリスに1ヶ月間の学校主催のプログラムを通して短期留学に参加しました。
その時に、『日本にいたらダメなんだ』って、英語を上達させるためには日本にいても上達しないことがよくわかったので、早く英語を上手くなりたいのであれば留学するしかないと思っていました。
短期の留学後にさらに海外に出るためにはお金が必要だと気づき、めちゃくちゃアルバイトをし始めました。必殺アルバイターでしたよ(笑)。家庭教師をしましたし、塾の先生もしていましたし、レストランでも、短期バイトもしていました。交通量調査のアルバイトなども。夏休みは工場とかでも働いていました。クリスマスケーキを作るアルバイトとかも。結婚式場でも。なんでもお金になることはやっていました。30種類くらいの職業を体験したかもしれないですね。
とにかく留学にはお金が必要だったので、授業と両立して、毎日アルバイトでした。
平日は塾や家庭教師、土日はレストランなど。帰りの時間は夜の10時とか11時とかでした。それから勉強しました。アルバイトのモチベーションは『海外に行く』ということでしたから。
時代はバブルだったので、家庭教師をやって生徒を合格させると、金一封とかが出たり。
特別ボーナスが出たり、指輪買ってもらったりとかしてましたね。
バブルで、企業にお金がありましたね。家庭教師として社長の娘さんを教えていましたが、月に1回イベントがあったらそこに無料で参加できたり、ご飯が出たり、プレゼントもあったりと。
気に入っていただいていた記憶があり、本屋などに連れて行ってもらった際に『欲しいもの選んで〜』みたいな、いい時代でしたね。
アルバイト情報が日刊だったかので、”日刊アルバイトニュース”という50円の日刊を見て、気になったところには電話してアルバイトをやっていました。
企業に人が足りていない時代だったからアルバイト先で断られた経験はなく、就職には困らない時代でしたね」
Question.4
20代の時にした1番大きな挑戦はなんでしたか?
「まず、初めての留学が19歳で、
大学卒業後、イギリスの大学院に2年間行き卒業して、修士を取りました。
修士論文の結果を待つ間にスペインのサラマンカという街に4ヶ月半いて、
スペイン語の学習をしたんです。
無事に修士論文の合格を確認し、
その後、イギリスで仲良くしていた姉妹がメキシコにいたので、その子たちに「来ていいよ」って言われ、メキシコにいくことも経験だなあと思い、24-25歳頃からメキシコに行きました。
1番最初は仕事が見つからなかったので、英語の教材の訪問販売をしたんです。
訪問販売をしていたけど、それが上手くいかなくて、
たまたま道端で見つけた店先にあったポスターを見て、”ガイド募集”って書いてあったのでそこでガイドを始めました。
首都のメキシコシティーではなく、カンクンという街に飛んで、そこで2年半ガイドをしました。
そのガイドの仕事がいいお金になっていて、メキシコに家が買えるくらいの収入はありました。
次の目標ができて、LAにある移民専門のNGOに入りました。
NGOでは通訳みたいな役目や弁護士の先生の手伝いをしていました。
NGO関係でアフリカでのお仕事のお話をいただき、フランス語が必要なため、フランス語を勉強するためにフランスのマルセイユに行くことになります。
その時にマルセイユで現在の夫に会って、妊娠し、結婚しました。
6ヶ月滞在の予定でその後アフリカに行くことになっていたけれど、
妊娠してしまって、フランスに残ることになったんですね。
そこから子育てに専念しました。
でも、同時に自分で何にもしないのは嫌だなあと思って、部屋を提供するシャンブルドット(フランス版のB&B)と呼ばれる事業を始めました。
住んでいたところが大きな企業の目の前だったので、
企業の研修してきた人たちに1.2部屋を貸していました。
夫がパリに転勤になってパリに移動することに。
その時には子供が3人で、しばらくは子育てに専念していました。1番下の子が2歳になった時点で、ソルボンヌ大学の文明講座でフランス語の語学学習を再開しました。
その後、就職しようと思ったけど、できなくて。
子供が小さくて就職できず。「誰が面倒見るのか」っていうことで断られましたね。
そこでMBAを取るために1年間大学院に入り直しました。36歳でした。
7年くらいは仕事をせずに、子育てに専念していました。
でもその間に稼げなかったことがずっと嫌でした。
MBAをとってからは、
保険会社で正社員として7年働きました。
保険会社で働きながら、現在運営するゲストハウスを始めていました。」
Question.5
20歳の時に1番悩んだことは何でしたか?
どのように解決しましたか?
「お金です。やりたいことに対して、資金がついていかなかったから、
必死に働いたことで解決しました。
あと、海外で英語を学ぶのではなく、英語で学問を学ぶことで、いかにハンディーキャップがあるのかを痛感しました。涙がボロボロ止まらなくなって、心理カウンセリングを2~3回受けたりもしました。いろいろ話を聞いてもらっているうちに冷静になれて自己解決しました」
Question.6
今のゲストハウスを運営し始めた経緯を教えてください。
「自分で事業をしたかった、自分で何かを始めたかったからです。
『ゲストハウスしたい』、自分のホテルが欲しいという気持ちです」
「7年勤めた保険の仕事は勉強にはなりましたが、『会社の言われたことを言われた通りにする』ということが性にあっていなかったです」
Question.7
なぜパリという都市を選んだのでしょうか?
「その時にその場所にいたから、たまたまですね。本当に偶然でしたが、こんな素敵な街に占めるなんて本当にラッキーだったと思ってます」
Question.8
どのような思いでゲストハウスを運営されていますか?
「パリで皆様のステップアップのための踏み台になれたら嬉しいです」
日本の女性の給料はめちゃくちゃ少なくて、
日本人の平均年収は女性は男性の約半額なんですよ。
(男性563万円、女性314万円:国税庁 令和4年分 民間給与実態統計調査より)
男性の約半額の給料で女性が海外に出たいってなった時にハンデになるんです。
だから女性が安心して夢に挑戦できる環境を提供しようと思っています」
Question.9
仕事の中で1番好きな時間はいつですか?
「お客さんと話すこと」
Question.10
海外に出たことで価値観の変化はありましたか?
「何かをしなければならないとい う考えから解放された」
Question.11
座右の銘は何ですか?
元プロ野球選手の王 貞治選手の言葉:
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならばそれはまだ努力と呼べない」
Question.12
尊敬する人はいますか?
「作家の本田健さん。
生き方というか人と愛情深い部分を尊敬します。」
Question.13
おすすめの本はありますか?
「きっとよくなる」
本田健著 サンマーク出版
愛情に触れて心があったかくなります。
Question.14
日々の生活の中で大切にしている習慣はありますか?
「できる限り体にいいことをすることです。」
Question.15
何か新しい挑戦をする時に自分に問いかけることはありますか?